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ANGEL
ANGEL

息子には人が死んでしまうと、
頭に輪がつき羽がはえて、
雲の上の天国へ行くんだよと教えてある。
天国はどんな場所かときかれたら、
何でも揃っていて綺麗であったかいところ。
雲の上はふわふわだから気持ちが良くて、下にいる人たちのこともよく見える。
と答えている。

はたしてそれが本当かどうかは、
わたしにはわからないのだが
本当であってほしいと今は強く願っている。


おばは、今年の夏に癌がみつかり
そのときにはすでに、
脳や脊椎への転移も認められたので
ステージ4と言われた。
少し前から不調があり、
原因がわからず2ヶ月ほど
痛み止めだけの生活だったのだが
ある日突然倒れ、そのまま歩けなくなり

調べてみると癌だった。
まわりはもちろん落ち込んだが
担当の医師たちとおば本人は前向きで、
まだまだ希望はあるからと、
治療に積極的だった。
これが8月。

お見舞いに行ったときは、
放射線治療を終えたあとだったので
放射線をあてるための、
体に描かれたしるしを見せて
「こんなの描くのよ〜〜」と笑っていた。
9月だった。

それからおばの癌は、
放射線治療の甲斐あってか
少し小さくなった。
でも癌が神経を圧迫している影響で、
下半身が動かず寝たきりだった。
抗がん剤治療をしたが、
感染症を起こしてしまい、中止になった。
そのときにはもう
抗がん剤に耐えうるだけの体力はなく
つまりは癌への治療の手段もなかった。
そのため退院して自宅療養となった。
そのときおばの余命はそう長くないと、母を通じて伝えられた。
これが11月の初めのことだった。

その後2度、おばに会いに行った。
一度は大勢でお見舞いに行ったので、
みんなでワイワイ話しているところへ、
おばもちょくちょく会話に混ざっては
すこし休むという感じで、
元気ではないけれども、
いつもどおりのおばだったのだ。

二度目は私1人で行って、
いとこと他愛もない話をした。
おばはときどき起きたり、
まどろんだりを繰り返していたので
とくに会話らしい会話はしなかった。
でも声をかけると反応してくれたし、
私が帰り際に起こしちゃ悪いと思って
こっそり帰ろうとしていると
「どーもねー」って言ってくれたから
「お邪魔しました、またくるね」って返した。
それが、私が最後にきいたおばの声であり、
私が最後におばにかけた言葉だった。

おばに会いに行った日の夜、
おばの血圧と血中酸素飽和度が下がり、
在宅医の先生を呼んだ。
そのとき、この症状が出ると3週間が目処と言われた。
これが6日前の話。

子どもたちを会わせたいと思い、
今日連れて行く予定だった。
来週には遠方に住む弟も帰ってくる予定だった。

しかし今日、おばは旅立ってしまった。

いとこがあさって、入籍するのを
結婚写真のウェディングドレスを見るのを
楽しみに、楽しみにしていたのに。
おばは眠ってしまった。

癌が見つかってからたったの4ヶ月。
別れの覚悟も私にはなかった。
だってまだ、早すぎる。

おばの笑顔や声は、覚えている。
だからそれがもうすでに
遠くにあるとは、思えない。

うそだ、と思ってしまう。
全然泣けない。
悲しさが全然近づいてこない。
だからこの文を書いた。

ただ、でも、
おばがこれから向かうところは、
安らかな場所であってほしいと願う。

それを願うしか、
今はできなくてごめんなさい。

by lilmickey | 2018-12-02 03:08
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