人気ブログランキング | 話題のタグを見る
幼なじみと聖域
あたしには幼なじみが3人いて、今はそのうちのひとりとは
音信不通状態になってしまってますが、あとの二人とは仲良しです。
彼女らは0歳からの友達で、その二人のうちの一人とは
小さい頃から同じ習い事に通って仲良くしてましたし、なんでも話し合いました。
一番わかりあえる人だと思いますけれど
そんな仲でもやっぱり聖域って、あるんだよね。



話さないことがあるってことです。
どっちかが話し出せばそれはもうたぶんなにもかもをさらけ出すでしょうけれども、
あたしからも聞かないし彼女からも聞いてこないので、
それは暗黙の了解として「聖域」となっている感じです。
話せないんじゃなくて話さない、のだと思う。
今まで生きてきた19年間で、なにもかもをぶちまけている相手に
今更羞恥心があるわけではないし話したくないんじゃない。
むしろ聞きたいし聞いてもらってわかっててもらいたい。
そういう気持ちはものすごくあるんだけれど、何故かしらその話題は避けられている。
それはきっと気心が知れすぎているからなのかな。って気がする。
気心知れすぎて、相手のその場面場面、事細かに想像できてしまうから、
話すのがためらわれるのかもしれないですね。
でもあたしは別にそれでも良いと思う。
確かになにもかもわかりあえる人であってほしいって思う気持ちもあるけれども、
なにもかもをわかりあっているからと言ってそれがいい関係であるわけじゃないから。
そしてそういう「聖域」がある関係を「本当の友達」とは呼べないなんて
これっぽっちも思っていないから。
いつかこの聖域が破られることもありえるけれど、今のところはこれでいい。
これであたしたちは円滑にうまくやっているのだし、今まで喧嘩したこともないのです。
「喧嘩するほど仲がいい」これもまぁ一理あるとは思いますが、
あたしたちの場合意見が分かれることがなかったので、
仲が良い悪いの問題ではないようです。妥協するとかされるとか
諭すとか抗うことがなかったからです。
相手の意見は相手の意見として受け止め、あたしの意見はあたしのものとして話す。
そういう関係ができあがっているからです。
それがいいのか悪いのかは知りませんがあたしはいいと思っています。
相手はどう思っているかわかりませんがきっとそういうものだと思っている気がする。
そんな関係の人がいることはとても幸いなことです。
これからどうなるかも知りません。でも、あたしは彼女をとても大切に思っているし、
彼女にとってあたしもそういう存在だったらいいと思う。
そしてそう思える関係であるうちは、聖域だとかなんだとかって
あんまり考えなくてもいいことのように思えます。
by lilmickey | 2005-05-09 23:36 | 頭ん中
<< ちょいと待たれ 語学とあたし >>