カテゴリ:頭ん中( 28 )
あたしは壁を築いてしまいました。
それは
高くそびえ立っていて誰もこえられない
あたしがその壁を取り払わないと 
誰も入ってこない。

孤独
秘密主義
一匹狼

ほんとうは
誰かに触れられたいと思っているのかな?
昨日よく考えたけど
あたしは 触れられるのが怖いから
こんな壁を張り巡らせてしまったんだ。

ノリは合わせるけど
深いところまで入ってこようとする手を
あたしは必死で振り払おうとしてる
壁を作ることで
誰かほかの人が近づくことさえ許さなくなった

あたしは別に
孤独が好きだとか そういうことじゃなくて
他人にあたしに気持ちがわかるわけないと
あきらめているのでもなくて
ただ うまく伝えられない
ただ どうやってその手を
受け止めたら良いのかわからない
拒否することで自分を守っているつもりだけど
あたしが手を伸ばさなければ触れられないものもある
どうしたらいいんだろう
なにもかも話さなければいけない友情なんて
あたしはいらないけど
話したいと思える友情をあたしは持ってるんだろうか
しばらく思えていない
あたしの胸のうちすべてをぶちまけてもいいと
前のようには思えなくなった
あたしどこで変わってしまったんだろう
この一年を経てあたしが
冷え切ってしまったということなんだろう
なにもかもくだらないことみたいに思える
どうしよう どうしたら
前みたいに他人と深く付き合うことを心地よいと思えるかな

あたしは取り返しもつかないほど
厚くて高い壁を築いてしまいました。

壁について(長文)
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by lilmickey | 2005-08-13 20:48 | 頭ん中
内側と外側
鬱になる原因。
誰にでもわかっているようなことが
今日まであたしにはわかっていなかった。

内側にこもって外側のことを考えると
物事の膨大さに嫌気が差したり
人間関係の複雑さから目を背けたくなったり
そうなると自分の殻を破れなくなって
余計こもりたくなる。
外側になんか一切関わりを持ちたくなくなる。
内側にいれば安全で心地がよく
外側に行こうとすれば頭痛がして面倒になる。

内側と外側にはさまれた自分は考える。
内側にいたい。
でもこのままではいけないと頭ではわかっていて
外側の空気を吸わなければならないと思う。

内側にはせまい世界がぽかんとそこにあるだけで
循環してくるものもいつもと変わらない。
外側はとても広くて、悪く言えばただっぴろくとりとめがない。
でも循環してくるものは新鮮で莫大だ。

そう、例えば、循環に置き換えていうなら、
内側は「悪循環」。空気が薄い。
悪循環のなかでなにを思いついても、
とりあえずそのせまい世界から出てこなければ
なんの意味もなくただまた悪循環にまわりまわるだけ。

あたしが言いたいのはこういうことだ。
つまるところ。
部屋にこもる。
内側から外の世界を見て、
面倒くさい、嫌だ、人に会いたくない、
そんな愚痴を並べ立てる。
外に出れば面倒なことが山積みで嫌気が差す。
頭ではわかっているのに抜け出せない。
そしてどんどん面倒になるんだ。
内側の世界には新しいものがなく、
同じものばかりが転がってる。
「面倒くさい」「嫌だ」「人に会いたくない」
そんなものばかりがひっきりなしに降り注いでくる。
内側にこもって外側のことを思ってもただ嫌気が増すだけで、
なんのプラスポイントにもならないということ。

結局。
今までのあたしの悪循環の原因はこれだったってこと。
どうして気づかなかったんだろう。馬鹿だよね
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by lilmickey | 2005-08-03 15:08 | 頭ん中
幸福の流星群
伯父さんが亡くなったのは2年前の夏
あたしが海外旅行から帰ってきた日だった
成田空港に着いたとき
父からメールがきてそのことを告げられた

お葬式であたしは
人が亡くなったときの喪失感を
痛いほど感じることになる
涙は知らないうちに流れて
景色がかすんだ
無数の花も気丈な伯母さんの姿も
ぜんぶ 悲しみにつながった
ちょうどその日
地球のうえを通り過ぎていった流星群を
ぴょんぴょん飛び越えていく伯父さんの姿を想像した。
からだの底から突き上げてくる痛みを
あたしは 大切な人を失った喪失感、
悲しみなんだと 思った。

偉大な人だったと思う。
大切なことのすべてを知っているような
でもいつもなにかを追い掛け回していたような
そんな人だったと思う。
お葬式に参加した人の数で
伯父さんの人柄を知った

2年たった今でもまだ会える気がしてる
いとこに会うたびに
もう伯父さんがいないことを思い出す
彼にはもう父親はいないんだと
そしてあたしにももうあの伯父さんはいないんだと
不思議な感覚だ
思い出がたくさんあるだけ辛い
また会える気がする

いとこは伯父さんの生き方そのものを
また同じようにして生きている
知りたくて救いたくて仕方のないものが
きっとたくさんあるんだ
あたしは彼女を勇敢でたくましいと思う

また会えたらいっぱい話したい
おじさんが駆け抜けた人生で
一番幸せだったことは
なんだったのか 聞いてみたい。
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by lilmickey | 2005-07-31 11:28 | 頭ん中
あなたへ
この記事はセクシャルマイノリティに関わる表現を含みます
時に露骨な表現、また誰かが不快に思われる要素を含むかもしれません
苦手なひとは読まないことをお勧め致します。

前置き
誰も傷つけるつもりはありません
同性愛者の方々を傷つけることや、否定するようなことは意図していません。
私なりに考え、調べて出した私なりの答えであり、
科学的に立証されることではありません。
誰も傷つけるつもりはないし、中傷なども意図しておりませんが、
これが誰も傷つけない文章だと言い切る自信はありません。
結果的にそのようなことを引き起こす文章かもしれないということです。
自分が書いた文章には、最後まで責任を持ちたいと思っています。
しかしこれはあくまで私自身の答えであり、
その答えを誰かに認めてもらおう とか、広めたい、などとは一切思いません。
この文章を書く目的は、私自身で出した結果を文章として残しておくためです。
さまざまな考え方が混在するネット上、オフの生活でも、
自分なりの答えをもっていることは大切なことだとあたしは思うからです。

同性愛者への差別、嫌悪
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by lilmickey | 2005-06-28 22:11 | 頭ん中
後悔は矢のごとく
後悔は矢のように降りそそぎ
悩みは雪のように深くふりつもる
悲しみは雨となり体を濡らして包み込む
あたしが歩いてきた道の、たくさんの足跡
19歳の決意
いまやらなければ。いま、このときに。
いま始めなければ。

20歳という拠点に一歩一歩歩み寄る感覚
きっと誰もが見逃してしまう歓喜
あたしが生きていくうえで、あるいはあたしがこの世から去ったのちに、
あたしがこれだけは、と誇れるもの
19歳の今だからこそできること。
生まれてきた理由や、いつかはなくなってしまう記憶を積み上げていく意味、
そんなことは難しすぎてあたしにはわからないけれど、
あたしがひとつひとつの刹那に感じていること、それを言葉にすることならできる。
もしもあたしがおばさんになったとき、あたしがあんな風にはなりたくないと思うおばさんに、
あたしはもしかしたらなっているのかもしれない。
もしもあたしがおばあちゃんになったとき、生きがいもなく、
ただ苦しみながら余生をやり過ごす、そんなおばあちゃんになっているかもしれない。
あたしの意思や体がこれからどんな風に変化して、
どんな風に終わっていくのかは誰にもわからないのだ。
理想のかたち、例えば、こんなおばさんになりたい、こんな風に生きたい、
そんな望みは無数にあるのだ。
でもその意思がいつどこで損なわれて、あたし自身が変わっていくのかわからない。
今はあんな人にはなりたくないと思っていたとしても、
もしかしたら5年後、あたしは別にそんなことはどうでもいいと思っているかもしれなくて、
10年後には、あんな人になりたいと願っているかもしれない。
そして20年後にはそんな人になっているかもしれないのだ。
今あたしが感じていることは、いつまであたしのものであるかわからない。
明日、あたしの気持ちが急に変わる可能性も否めない。
でもそのときにあたしが今の自分を憂うのではなくて、
誇張することができなければならないと思う。
だからあたしは今を選んだ。今じゃなくちゃいけない。19歳の今だからこそ。
もしこれが失敗に終わったとしてもなにもしないでいるよりずっと心が楽。
もしこれがちゃんと完全な形になったとき、この決意がなにであったのか、
表明したいと思います。今は、決意を述べるだけ。
19歳のあたしは、20歳になるまでにその土台を踏み固めます。
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by lilmickey | 2005-06-09 17:58 | 頭ん中
どうにもならないこと
どうにもならないことがある。
それはあたしがどう足掻こうとどうにもならない。
どうにもならないこととはそういうことだ。
どうにもならないのだ。
努めて言うならば動かせない、変えられないこと。
つまり、きっと誰かを傷つけたり自分が犠牲になったりしない限りは。
なにかを犠牲にしなければ実らないもの、手に入らないもの。
どうやったらなにも犠牲にしないで手に入れられるか
ひとはみんな考えあぐねるけれど、きっとそれは考えてもどうにもならない。
どうにもならないことはどうにもならないことでしかない。
どうにもならないことをどうにかなるものに変えられるのは
誰かを、なにかを犠牲にしたとき。
じゃあどうすればいいのか。じっとしている、とかあきらめる、とか。
じっとしていられないほど欲しい、あきらめることなんてできない、
そんなときはどうすればいいのか。
それは自分が決めること。
自分の道理に合っているのは、傷つけるのかあきらめるのかどっちなんだろう。
きっと深く悩んで決める。決めた結果はどっちか知らないが、
きっとどっちにも納得いかないこともある。それはただの我が侭ってやつです。
我が侭など、人の世でそうそう通用するものではない。
結局どうすることを選択するんだろう。
わからないが、なにごとも自分の思い通りにできるなら苦労はしません。
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by lilmickey | 2005-06-08 13:46 | 頭ん中
憧れについての作文
決してあたしは、絵とか文章がうまいとは言えない
これは謙遜でもなんでもない
あたしの文章は荒々しいものだと自分でもわかってる。
でもそれでもあたしが自己を表現する手段として
たぶん迷いなく挙げるのは「かくこと」。

あたしは3歳のころから英語をやってきた
生まれて3年目であたしは英語に出会って
不思議ともうやめたいと思ったことはない。
あたしには幼なじみが3人いて、あたしを含めた4人は、
同時に習い事を始めた。
2人はピアノ、あたしともう一人は英語。
3歳から英語を始めたことは、なにもうちの母親が教育熱心だからとか
そんな理由じゃない。これはあたしが自ら望んだこと。
母はあたしにいくつも選択肢をくれてあたしが英語を選んだだけのこと。
やめようと思えばいつだってやめられたのだし、
それを貫き通したのは、やっぱり好きだったからなのだ。
あの時あたしが英語ではなくピアノを選択していたとしたら、
あたしには違う道が待っていたはずだ。
ピアノをやってた二人は小学校高学年でやめてしまった。
その理由はよくわからないけれど、すきだったら続けたはずだし、
お金に困っていた風でもないし、やっぱり彼らは自らで望んでやめたんだと思う。
同じようにあたしも自分の意志で続けることを選択した。

小さなころから根付いてきたもの、形成されてきたもの。
なにもかもが新しく見える多感なときに備わったもの。
たまたまあたしにはそれが英語だったわけで、
たまたまそれを今も続けているというだけのことだけど、
あたしの幼少期にはもっとたくさんの可能性が与えられていたはずだ。
あたしが自ら切り捨ててきたものをもし、今も持っていたとしたら、
あたしには違う道があって、違うものに憧れを抱いただろう。

作文
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by lilmickey | 2005-06-07 03:08 | 頭ん中
one mile
いろんな気持ちが交錯して
涙が出てきそうなのに
でも悲しいのとは違う
それはいちばん
懐かしいに近い気持ち
そんな思いがするときはありませんか
懐かしい とか 切ない とか
そういう心許ない気持ち。

誰かにそばにいてもらいたい
でもそれは今恋心を抱いてる人ではなくて
親友でも 家族でもない
それは 中学の頃
いつも憎まれ口を叩き合ってた男の子
しばらく会ってないけれど
いちばん自分を理解してくれてるみたいな
錯覚を起こす
お互いに恋愛感情なんかは持ったことがなくても
でもちゃんと男と女であるという距離感はあって
きっとなにかきっかけや間違いがあったなら
ころりと恋愛に変わってしまうかもしれない
そんな頼りない関係 そんな男の子。

懐かしい 切ない 寂しい
これを受け止めてくれる人を他に思い出せない
あたしの過去を知っていて
あたしの気持ちを聞いてくれて
あたしのそばにいてくれて
でも絶対に優しくなんかしてくれない
ばかじゃねぇの とか うるせぇ とか
はぁ? とか 冷たい言葉で
ちゃんとあたしを突き放してくれて
でもよりどころになってくれる人を
あたしは他に思い出せない。
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by lilmickey | 2005-06-06 18:40 | 頭ん中
わかりやすいもの
あたしの文章はあべこべで滅茶苦茶なので
たぶん見るに耐えなく、読むのが苦痛であると感じる人がいるはずだ
もっとわかりやすいブログを。

あたしは無知なので自分のどこをどう変えれば、
あるいは自分の信念のどこをどう曲げれば、
うまくゆくのか見当もつかない。
あたしの信じる優しさとは、他の人にとってみればただの迷惑で、
あたしの信じるわかりやすさとは、他の人にすればわかりずらさかもしれない。
一方通行なのかもしれない。
あたしの脳で考えることすべてが、誰にも通じない行き止まりの、
ただのわかりずらいものでしかなかったとしたら。
わかりやすいもの、わかりずらいもの。
あたしは「ありのまま」が一番わかりやすいものだと思う。
一番その媒体が言わんとしているものに近い状態であると思う。
でもそれはあたしにとってのことで、他の人は、
「ありのまま」などわかりずらさの塊でしかないと感じているのかもしれない。
ありのままのものを差し出されて、そこから何か感じとってほしいなどというのは、
たぶん難解極まりないことだ。
でもそこから感じとれるものこそ、一番真実に近い姿なのではないか。
ばらばらにされて解説されて、そこから感じとるのは実にたやすい。
しかしそこから感じとれるものは解説されたことのみだ。
もしもその解説に嘘が含まれていてもそれが真実になってしまうのではなかろうか。

でも必要なのは、あたしにとってだけではなく誰にでも感じとりやすいもの。
誰にでも理解してもらえて、共感してもらえるもの。
だからもっとわかりやすいブログを。
今後の目標にします。
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by lilmickey | 2005-06-05 18:45 | 頭ん中
自転車
自転車にひかれたことがありますか?
あたしはあります。

自転車で鬼ごっこをしたことがありますか?
あたしはあります。

自転車ごと電信柱にぶつかっていったことがありますか?
あたしはあります。

自転車が好きですか?
あたしは好きです。

あなたは?
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by lilmickey | 2005-05-17 22:21 | 頭ん中